[001] 山本進

「配給列車がくると、配給物が線路に落ちる。兄貴が俺をおぶったまま、それを拾いにいく……。列車の下にもぐり込んで拾う時、俺の頭がガンガン列車にぶつかる。そのせいで俺は頭が悪くなったんだ。」

 

愛嬌のある笑顔とユーモアで、関わる人を自然と笑顔にさせる山本進。かつて、岐阜県土岐市曽木町に存在した『山本牧場』の経営者。

鷲見大地の結婚式での進、山本家は代々の酒豪である

 

終戦後、岐阜県郡上郡高鷲村から、開拓地である土岐市曽木町の蘭仙地区へ父の繁、母のシズ、4人の兄弟で入植し、サラリーマンを経て酪農家の道を決意。

 

「酪農は3K(きつい・きたない・きびしい)を超える10Kぐらい大変な仕事だ」と語りながらも、言葉の節々には牛への惜しみない愛情が垣間見える。

 

現在70歳、どんなことを乗り越え、牧場経営をしてきたのだろうか。

 

サラリーマン時代の進(写真右)

 

入植当時の生活は、今とは考えられないもの

「当時入植者は、旧曽木温泉の共同住宅で生活していた。テーブルもないから、玉突き台をテーブル代わりにしてたな。」中学校の登下校も本当に大変だった。まだ舗装もされていない道で、自転車のタイヤにはものすごい量の泥が付いて、
それを棒で取りながら進んだという。冬は道が凍るから、自転車を担ぎながら片道8〜9キロ通った。ようやく砕石がひかれたと思ったら、次はタイヤがしょっちゅうパンクする。もう通うだけで本当に大変だった。

 

中学校を出て、最初はサラリーマンに。しかし……

「学校を出たら、なんとか食べていかなければいけない」と考えた進は、中学校卒業後、名古屋で就職。
車のボンネットを作る会社で6年間勤務した。しかし、働き続けながらも悶々と“サラリーマン”という職について考えるようになる。

「サラリーマンは自分の業績が良くても給料は変わらないし、残業代が少し増えるだけ。自分が頑張った分は評価される働き方がしたかった。でも牛は、自分が努力してやればやるほど応えてくれるんだ。」

「もし自分が世話の手抜きをすれば、牛は必ず反応して、乳が出なかったり病気になったりする。
牛飼いは365日休みはない大変な仕事だけど、自分がやればやるほど返ってくる。愛情込めて育てれば、牛は絶対自分に応えてくれる。」

 

初代経営者である父の存在

「父の繁は、子どもたちに腹いっぱいの飯を食べさせたいと考えて、白鳥村で経営していた理髪店『モダン』をたたみ、

開拓地である蘭仙への入植を決めたんだ……」

懐かしそうに語る表情のなかには、どこか過去を思い出す真剣な眼差しもあった。家族全員が食べていくために、色々と家業をやった。田んぼ、畑、蚕、牛飼い。繁忙期が重なるため、どれかに一本化しないといけないという話になり、牛飼い一本に決めた。

 

しかし、牛飼い一本にして少し経った頃、父の繁は牛飼いを辞めて外の仕事に出るようになる。

 

「2人でやると俺が親父を頼って、仕事をサボるから。親父は俺のことをよく分かってて、あえて突き放してくれた。自分がいくら酒を飲んで帰っても、朝起きてみると牛の乳は絞ってなかった」

サラリーマンから牛飼いになるという大きな決断の後、頼っていた父が牛飼いから離れることに。苦悩の時期を過ごしながらも、進は着実に牛の数を増やした。収入を増やして牛一本で安定的に食べていくために、規模を拡大していく。

 

牧場経営を始めた頃の進

 

進の妻のあたえ

 

今では考えられないほど大変な日々

「朝3時半から妻のあたえが餌をやる。俺がが糞尿の掃除。次は2人で搾乳だ。」

懐かしそうな表情で語る進だが、当時は本当に1日中仕事に明け暮れる大変な時期だったという。ちょうど家を建てた時期もあって、住宅ローン分を稼ぐ必要があったんだ。その頃は朝3時に起きて牛飼いの仕事を8時まで。9時から妻とそれぞれ近くの会社で15時まで働き、その後16時から2度目の牛の仕事を20時頃までしていたのだ。

 

踏ん張って、踏ん張って、頑張ることができた理由

どうしてここまで踏ん張ってやってこれたのか、、、という問に対しては「根性」の一言。

「最初は3〜4頭からはじめて自分が必死で大きくした牧場を、そんなもの……大変でもなんでも簡単に潰せるわけがない。俺も大の負けず嫌いだから、県内トップの酪農家になりたいと思った。乳質でもトップになりたい。そんな想いで仕事をしていたんだ」

数年前、自身の体調などを理由に『山本牧場』は看板を下ろすことになったが、今でも夢に牛が出てくるという。
労働時間も長く環境的にも大変な仕事。その状況でも常に上を見続け、「今よりも良くなりたい」「他の奴には負けたくない」
そんな想いでやり抜いてきたという自負が、言葉の節々からにじみ出ていた。

 

飛騨牛の子どもの人工受精卵移植は、県内で自分が初めてやった。ホルスタインから和牛を産ませ、9ヶ月したら和牛を売って、そのお金で北海道から乳牛を買う。9ヶ月でホルスタインを買えるのは今までにない画期的なことだった。通常ホルスタインの子供を育てるには2年かかるが、それが9ヶ月で妊娠牛を北海道から購入できるようになり、規模拡大に大きく寄与することになる。

 

さらに、受精卵移植と並行して、性別反応で雌牛のみを産む方法にも取り組んだという。
既存の手法だけではなく「もっと上にいくためにはどうすればいいか」を常に考え続けた結果の取り組みだった。

地元の野球大会に参加している進

 

孫世代に伝えたいこと

「やっぱり人生やってく以上は、幸せになってほしい。」

金持ちにならなくても、健康第一で良いお嫁さんやお婿さんを見つけてくれればいいと思う。何事もなく、笑顔でやっていってほしいまっすぐな眼差しで語ったあと、自らの言葉を反芻したのか、言葉を繋げた。

 

「人は生まれたら必ず死ぬ。死を恐れてはいけない。 先祖があって初めて、今の自分がいる。自分が努力した云々ではなく、努力は人生についているもの。先祖代々、自分が生まれてきたことに感謝して生きなければいけない」

 

自宅には地元蘭仙の由来が飾られてある

 

自分の決断に真っ直ぐに、諦めず、根性でやり抜いてきた山本進の酪農家人生。
これからどのような第二の人生を歩んでいくのであろうか。

 

 

 

インタビューアー:鷲見大地/鷲見大海

インタビュー実施:2018/10/28